しろいし緑の芸術祭

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「九州の風土の豊かさ、鮮やかさを◯△□で描き出す」原良介インタビュー

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「しろいし緑の芸術祭」参加アーティストへのインタビュー企画。第1回目は、鎌倉を拠点に活動する画家・原良介さん。
油絵の制作を主にしている原さんは、今回手びねりの大きな磁器彫刻を制作。何度も失敗を繰り返したという作品づくりのこと、ゆかりのない佐賀の地の芸術祭に呼ばれて考えたこと、アートを見ることなどについてお話を伺いました。

2次元の視点で3次元の物質をつくる

—油絵を主に制作されていますが、磁器の制作を始めたきっかけはなんですか。

10年ほど前に展覧会をした時、陶芸家の友人から「磁器とか作ってみない?」と言われたんです。なんの技術もないなりに好きな形を作ったら、楽しくて。以来、年に1〜2回ほど遊びで作って友人が窯入れするタイミングで一緒に入れてもらっています。わざと経験も知識もない状態でやっているから、自由な感覚でやれるのがおもしろいんです。

—油絵と磁器で表現することや作っている時の感覚はちがいますか?

普段描いている油絵は、モチーフが時間や場、科学的なもの。例えば、一枚の絵に同じ人が3回登場するのは、人を描きたいというより、移動している時間を描くために人が出てくる感覚なんですね。
その視点で考えると、絵そのものがすごくおもしろいなと思うわけです。独自の考えですが、絵を描くのには絵の具や筆といった3次元の物質を使っているけれど、絵画空間は、2次元ですよね。だから、絵を描くことは3次元と2次元を行き来する、次元を移動する行為だなって。写真やマンガとも違う絵画特有のものですよね。
磁器は完全な3次元だけど、僕は絵描きの2次元の視点でとらえているんです。2次元を3次元に落とし込んでいるというか。僕が作る磁器作品は、絵しか描けない画家の視点で作られるちょっと変な3次元物質。だからこそのおもしろさがあるんじゃないかと思っています。

原さんが描いた油絵「by a lake」。一枚のキャンバスに同一人物を3回登場させることで時間の移動を表現している。(写真は作家提供)

自分の中で、油絵と重なる部分がある磁器の制作工程は、色を塗ったり、絵を描いたりする「上絵付け」。上絵付けは、色を重ねることができません。僕が、油絵を描く時も一層描きの一発描きなんです。油絵の具は重ねて厚みを出すのに適した素材なのですが、小学生の頃に通っていた絵の教室で水彩絵の具で描いていた感覚でずっとやってきているので。その感覚と磁器の上絵付けがとても合っているんです。それに、油絵も一層の方が発色がきれいなんです。思いのほか、自分の経験と感覚が合わさって制作できているなと思います。

原さんが制作した磁器作品「夜の山」。どの方向から鑑賞するかによって、作品の見え方が変わる作品。今回の「○△□の彫刻」の○(月)の作品にも通ずる。(写真は作家提供)
—絵、磁器ともに作品のインスピレーションはどこから得ていますか。

元々、花の散り際に美しさを感じるような日本人の自然観が思想や哲学も含めて好きなんです。たとえば『万葉集』や『古今和歌集』も自然と生活をテーマにした歌が多いし、宗教観にも日本の風土が大きく影響していると思う。

それから、山登りが好きで、20歳頃からアルプス山系によく登っています。だいたい2〜3泊、若い時は5泊ぐらいしていましたね。テントや寝袋、食料、燃料、水…と普段と違う衣食住を背負って自然の中で生活する感覚が良いんです。
登っているときは急斜面だからきついし、冬山に行くと危険なこともあるし、自然の厳しさを感じるのですが、日本アルプスの尾根に立っていると稜線上に3000m級の山が続いていて、空が本当に広く見える。僕は広い空が好きなんです。だから、あそこにいたくて登っているのかなと思います。

自然観はスケールが大きすぎる一方で、すごく月並みなテーマでもある。でも興味があるから、素直に、自分なりにそういった体で感じる自然と頭の中にある知識としての自然観を作品でうまく昇華しようとしています。

人と作品の距離を考えた結果、作品が信じられない大きさに

—SNSのアーティストコメントやトークイベントで「新婚旅行で佐賀を訪れ、焼きものの産地巡りをした」とおっしゃっていました。
  焼きもののどこに魅力を感じますか?

物はもちろん、産地の風土や歴史、人も含めて好きです。
昨日(取材日は2月中旬)も大分の小鹿田と福岡の小石原に行ってきたんですけど、小鹿田は焼き物作りの環境が江戸時代から残っています。有田や唐津も衰退や復興を経ながら200〜300年以上続いている。
焼きものはその土地の土を使って作られます。薪も元々はその土地の近くの木を使っていたから、つまるところ焼き物は周りの環境と共にあるわけです。そういう意味では、器は風土の塊みたいなもの。そこに魅力を感じます。

—芸術祭がきっかけで初めて白石町を訪れたとのこと。印象はいかがですか?

まず思ったのは、空が広くてきれい。平らな農地が広がっていて、その奥に長崎の山並みが見える。南に行くと有明の海がある。僕が生まれ育った湘南のあたりと雰囲気が似ていて、それ以上にスケールが大きい。作品の設営に来た時に車を走らせていたら、一面に麦畑と空が広がっているところがあって思わず車を止めて写真を撮りました。

原さんが撮影した白石町の麦畑と広い空。(写真は作家提供)

それから、ムツゴロウが見たくて、木下(友梨香)さんに有明海まで連れて行ってもらいました。ムツゴロウって縄張りがあるみたいで、きっちり1メートル間隔でいるんですよ。すごい!って感動しているのに、木下さんは全然興味なさそうで(笑)地元の人の感覚だなと思いました。

ノリの竿が立ち並び、時たま船が横切る有明海。干潮時はムツゴロウが現れる。(写真は満潮時)
—作品よりも前に妻山神社の舞台に作品を展示することが決まったそうですね。

妻山神社に下見に行ったとき、素朴さと立派さを兼ね備えている神社だと感じました。白石町の西側に広がる山並みの先端にすっと存在していて、広い参道や立派な楼門、社殿がある。だけども、作品を展示する舞台は町の人がかつて劇をやるのに使ったり、今でもしめ縄作りの時は大人から子どもまで集まったりと親しみやすさもあって、白石の地に住んでいる人たちと一緒に育ってきた素敵な神社だなと。

はじめは、運営側も絵を展示する想定だったと思います。でも、舞台の写真を見たら、ここに絵を置くと唐突になるんじゃないかなと感じました。風雨にさらされないようにアクリルケースに入れるのも、見る人との距離が遠くなるから避けたかったんです。
人が集まる場所だからこそ、ちゃんと人との距離が近い作品にしたくて磁器で作ることにしました。佐賀で展示できるんだからせっかくなら、という気持ちも大きかったですね。

—磁器作品としてはかなり大きなサイズの作品になりました。この大きさにした理由や制作時のことを教えてください。

展示スペースと作品の大きさのバランスを考えた結果、手びねりの磁器でやるにはちょっと考えられないような大きさになりました。磁器は、硬度が高いので乾燥や焼成の段階で割れやすいんです。そうした技術面は、10年前から磁器作品の制作に力を貸してくれている友人に協力してもらいました。

たとえば板のようなものや直線的なものを貼り合わせるのであれば、技術はいるけどなんとかなる。問題は大きな球体でした。乾燥させる段階で割れて、焼く段階で割れて、を繰り返して何度も作り直しました。どうにか設営のために出発する日の朝に焼き上がって…奇跡でしたね。

制作途中の「○△□の彫刻」の○。手びねりで巨大な球にした。写真の状態から、乾燥、焼成、上絵付を経て完成した。(写真は作家提供)
–磁器作品「○△□の彫刻」についてモチーフなどはありますか。

僕は佐賀や白石町と縁のない場所から呼ばれているので、どう関わるかが作品を作る上で一番大切。まず「九州で行われる芸術祭に作品を置く」ことから考えました。

大まかなモチーフは、博多の禅寺・聖福寺にいた禅僧・仙厓(※)の代表作の一つ「○△□」。シンプルで美術の構造的にもとても良い作品だし、仙厓のことを調べると博多などでなじみがあって、皆さん仙厓の文脈やユーモアを感覚的にわかっていることを知ったので、大枠はこれにしよう、と。
※…江戸時代の禅僧、画家。ユーモアに富んだ書画を多く残し、禅の教えを広く伝えたことで知られる。原さんが作品の着想を得た「○△□」は出光美術館に収蔵されている。

「○△□の彫刻」。月をモチーフにした◯について「地球にいる私たちは月の裏側を見ることができないけど、作品では裏側を描いてみた。現実にはできないことを立ち現せるのがアート」と原さんのユーモアが光る。

○△□はそれぞれ、妻山神社がある環境そのものがモチーフになっています。妻山神社は木の女神を祀っている神社で、自然に興味がある僕はそれもとても嬉しかったんですね。下見の時に神社の裏手にある山も登ったんですが、昔は修験道の人が歩いていたこともあったらしく、すごく良い経験でした。なので、この場所とそれを取りまく風土を作品にしようと思ったんです。○は月、△は神社がある山、□は有明の海。色は、緑色を基本にそれを構成する黄色と青色、木の色である茶色に決めました。

いろんな人が観に来るからこそ、何をモチーフにしているか分からなくても、形だけでもおもしろいと思えるように作っています。地域の人が集まった時に、子どもたちが「なにこれ」とか言ってくれたらいいですね。なにこれ、から始まってよく紐解いていくと地域の歴史や住んでいる佐賀、九州の歴史まで結ぶ線が見えてくると感じてもらえたら。

妻山神社を取り巻く山を描いた△。原さんが上絵付けで描いた絵にも注目してほしい。

「わからない」も立派な作品批評

—近年、日本各地で芸術祭やアートイベントが開催されています。良し悪しにかかわらず、観光や地域活性化にアートが利用されている状況がありますが、どう思われていますか?

前提として、地方や自治体はアートを利用していいと思うんですね。ただ、運営する側も参加する作家も、公的なお金が使われていることとそれに伴う責任をしっかり自覚しないといけない。

作家はただ好きなことをやればいいわけではありません。かといって、地域をリサーチして一方的に「私はこの地域をこんなふうに見ました。こんな場所なんです。すごいでしょ」とするのもどうなんでしょう。地域の人が求めていないと、人と作品の距離がどんどん離れていく気がします。地域の人たちのためのものなのに「よくわからないな」で終わってしまうのはもったいない。

ただ、芸術祭は地域の人たちがなかなか客観的に見られない、地域の特性や魅力を知るきっかけになる可能性を秘めています。だからバランスを取っていくことがとても大事です。
そのためには、地域の人たちも作品を見るために少し意識して考えるきっかけが必要だし、我々作家も地域に長く関わる作品を作れるように、しっかり向き合って成長し合える状況をつくっていかないといけない。それをどれだけやれるかだと思います。

原さんが制作した磁器作品「陽の輪」。人の集まる舞台の中心に置くイメージで作られた。
—しろいし緑の芸術祭は、白石町出身のアーティストである木下友梨香さん、町内で牧場や飲食店を営むTOMMY BEEFの吉原龍樹さんが運営メンバーの中心にいます。

地域に何が足りないのか、地域は何を求めているのかを一番わかっているのは地域の人たち。運営側にいてくれると、アートと地域との距離がそこまで開かずにやれると感じます。
大事なのは、ここで終わらずに小さくてもいいから無理がないところでうまく継続していくこと。答えがないことなので手探りの部分もあると思いますが、地域と一緒に可能性をふくらませていくベースはできているのではないでしょうか。

—先ほどおっしゃっていた「地域の人たちも作品を見るために少し意識して考えるきっかけが必要」のきっかけはどうやったら得られますか。

今回に限ったことではないけれど、アート作品って全員が賛成しなきゃいけないものじゃないと思うんですよね。一番良くないのは、「良いと思えない」「理解できない」ことに対して、経験やセンス、素養がない自分のせいだと思ってしまうこと。アート作品は、その人の主観が大事ですから 良くないのはもう良くない。それは立派な批評です。わからないことはわからないと堂々と言ったほうがいい。

逆にある程度知識のある人が「自分はこういう風に良いと思うよ」と言えれば、地域と作品の距離は少しずつ縮まっていくような気がします。そうやって成長できることがベストかな。ある時に見たら光がきれいに見えたとか直感的なことでもいいんです。思ったことを言い合って対話できる場さえうまく作っていければそれが一番良いのかなと思います。

鑑賞ツアーでは、原さんが自ら作品について説明。参加者は舞台に上がって作品を鑑賞した。
—作品を見に白石町を訪れる方に一言お願いします。

こんなに大きな手びねりの磁器作品は他にないと思います。まずはそこに注目してほしいです。自然光に当たるととてもきれいに見える作品なので、季節や天候によって、光や見え方が変わっていくのを楽しんでほしいです。白石の季節の移ろいに合わせて、ぜひ何度も足を運んでください。

聞き手:穴瀬聖・立野由利子 文・立野由利子 撮影:勝村祐紀、作本奈寧子

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