「しろいし緑の芸術祭」参加アーティストへのインタビュー企画。第2回目は、白石町出身のアーティスト・木下友梨香さん。
芸術祭の発起人でもある木下さんに、白石の風景から生まれた作品のことや芸術祭を始めるまでのこと、今思い描いていることについてお話を伺いました。
人と人のつながりを感じた佐賀での作品制作
—今回の芸術祭では、石に抽象的なペインティングをほどこした「植物と」「太陽と」「海と」の3作品を制作されました。白石で生まれ育った記憶の中で印象深いものとして、植物、太陽、海のモチーフを選ばれていますが、その理由はなんでしょうか。
白石の花農家に生まれて、この町で過ごした子どもの頃の記憶は、私が作品を描く根底にあるとても重要なものです。
その記憶の中から、農業の植物、広い空の太陽、干潟の海という、この町を象徴するようなものを表現したいなと思いました。
—石にペインティングするという発想はどこからきたのでしょうか。
元々石に魅力を感じていて、石に描きたいな〜という思いもあったし、白石町の歴史を可視化するような作品を作りたいと考えていました。
白石町は、干拓で大きくなった町。今の白石町のほとんどがかつては海でした。それを小さい頃に聞いて、衝撃を受けたのを覚えています。ただ住んでいるだけでは分からなかったし、とても不思議な、自分の理解を超える歴史があったんだなと。元々は海だったと分かってから町を見てみると、道路に落ちている貝殻や干拓で人工的に作られた真っ平らな土地など、その歴史を感じられるものが所々にある。
干拓した土地に石や砂利などを投入して土台にしていたと知って、石に白石町を描くことがこの町を表現するのに最適だと思いました。
—石の調達では、「佐賀らしさ」を感じることがあったそうですね。
田舎のコミュニティってやっぱりすごい、と改めて思わされました。石に絵を描きたいな〜と漠然と思っていたけど、どこで調達してくるかまでは考えられていなかったんですね。父に「石ってどこで買えばいいのかな。この辺の石材屋さんって知ってる?」となにげなく聞いたら、「七山(※)にいっぱいあるよ」って。父の知り合いが七山の石材屋さんに聞いてくれて今回の石と出会えました。たった一日でスムーズにことが進んで、こんなミラクルあるんだ!と興奮しましたね。石の手配と運搬が一番大変だと思っていましたが、全てを家族や知人の力を借りてできたことは、ほんとうにありがたかったです。
家族や佐賀の人たちのおかげで作品ができあがりました。
※…唐津市七山地区。地区内の天山に石の採掘場がある。
—今回制作した作品は、町の人が日常的に散歩したり、休日に集まったりする「ふくどみマイランド公園」に設置されます。
会場が決まってから作品を制作されたそうですね。
公園という人が集まる場所を考えたとき、常に作品と人が近くにいるイメージがありました。特に子どもの身近に作品がある想像をしていた気がします。アートに触れる機会が少ない子どもたちに、日常にアートがある空間を作れたらと思いながら制作していました。
作品を設置した後に公園に行くと、犬の散歩をしている人や遊びに来る子どもたちが作品に近づいて、不思議そうに眺めている光景がありました。なんだかその時間が存在することが、私にとってはとても理想的な時間に見えて嬉しかったです。
—木下さん自身もアートに触れる機会が少なかった幼少期だったと思いますが、絵や美術に興味を持ったきっかけはなんですか。
中学生の時、周りの環境や自分自身にもモヤモヤすることが多くて、そんな時に絵本やアートが救いになってくれました。強烈に覚えているのは、中学校の図書室で見たシャガールの画集です。自分の中で想像できない、見たことのない絵だったんですよね。全然理解できなかったんですけど、「この絵が素晴らしいと評価されてこんな田舎の中学校にいる自分のところまで来るんだ。自分が知らない世界がこの世にあるんだ」と衝撃でした。自分の生きる先もまだあると思わせてくれた作品でしたね。
※…20世紀に活躍したロシア出身のフランス人の画家。キュビスム、フォーヴィズム、表現主義、シュルレアリスム、象徴主義などさまざまな前衛芸術スタイルと土着のユダヤ文化を融合した。絵画のほかに、陶芸、版画などさまざまなジャンルで制作した。
—今回制作した作品は、鮮やかな色使いも印象深いです。こだわりはありますか。
今回の作品に関しては、見てきた記憶の景色から色を取りました。「植物と」は畑の緑や黄色、「太陽と」は夕陽で大地が染まった色、「海と」は干潟(有明海)の灰色の海。白石町で育ってきて、特に印象に残っている色を使っています。
—日頃から、抽象表現を用いた作品を多く制作されています。
積極的に抽象表現を選んでいるというよりも、単純に自分に合っていると思っています。物事を考えたり何かを感じたりする時に、具体的な言葉よりも感覚的に理解したり感じたりしているんですね。そういった言葉にできないものを自分なりに伝えようとしているのが、絵であり、抽象表現なんだと思います。
抽象的な表現を用いた花の絵をモチーフにし始めたのは、6年ぐらい前。それまでは、油絵の具で自分の中でなぜか印象に残っている人を描くことが多かったですね。
自分自身が徐々に変わっていって、それに合わせて、モチーフも変わったタイミングがありました。
芸術祭のはじまりは友人との再会
—しろいし緑の芸術祭には、参加アーティストとしてだけでなく立ち上げ人として関わっています。立ち上げの経緯などについて教えてください。
数年前に、幼稚園から中学まで同級生だった龍樹くん(白石町内で牧場、飲食店を営む吉原龍樹さん)と話していたら「白石で芸術祭をやりたいんだ」と言われました。私もずっと白石町で何かやりたいと思っていたので、「やろう!」とすぐに返事をして、今回の芸術祭の計画がスタートしました。
龍樹くん自身が家の牧場を継いで、TOMMY BEEFを作っているのを見ていたので、その人が一緒にやろうって言うなら、本当に実現できると思ったし、心強いなと感じました。価値観が似ていて、良いと思うものが一緒なのも大きかったですね。
—トークイベントでは、町との話し合いに一年ほどかかったとおっしゃっていました。結構長いなと思ったのですが…
私は基本的に東京に住んでいるので、町との交渉は龍樹くんと永代さん(妻山神社禰宜で白石町観光推進協議会のメンバーでもある永代優仁さん)に主にお任せしていました。なので、一番大変だったのはお二人だったと思います。
ただ、はじめに町の人たちと話した時、私たちに見えているビジョンを理解してもらうのが大変でした。持っているイメージを共有するのはやはり難しい。アートとは、芸術祭とは、将来どんなことがこの町で起こるのか。そういったことをデータも交えながら言葉を尽くしてたくさん説明しました。時間はかかりましたがビジョンを共有するために必要な時間だったのかなと思います。
おかげで役場や白石町観光推進協議会、民間企業などと協力しながら、無事に開催できました。私たち個人の力だけではできないことをたくさんできたと思っています。
—今回は参加アーティストのお声がけも行われました。塚本猪一郎さん、原良介さんを選ばれたのはなぜですか。
初めは、素晴らしいアーティストがたくさん居る中、どうやってお声がけすればいいのかとても迷いました。そんな中、今回の芸術祭の企画運営を担当いただいている方と話している時に、「この町のことをほんとうに思って、精いっぱい作品を作ってくれるアーティストさんにお声がけできたらいいですね」と言ってもらって、は!っと塚本さんと原さんの顔が浮かびました。お二人とも作品づくりの先輩としてとても尊敬していますし、一目見た時に直感で何かを深く感じることのできる作品を制作している。アートになじみのない白石町に作品を作ってもらえたら、すごく素敵だと思いました。
それから、佐賀在住と他県在住のアーティストの両方に参加してほしかったんです。町のとらえ方も違うと思うので。3人の性別や年齢がバラバラになることも、結果とてもよかったなと思います。
—第一期で開催したアーティストトーク&鑑賞ツアーには県内外から多くの人が参加しました。
あんなに人が来てくれると思っていなかったです。大人だけでなく子どもも参加してくれました。地元はアートを普段見ない人が多いと思っていたので、いろんな視点で興味を持って来てくれる人がこんなにいるんだな、と。
印象的だったのが、町の人たちがアートの力や、人が来てくれたことに対する喜びを一緒に感じてくれたこと。最初、説得にかなりの時間がかかったからこそ、喜んでくれたのはとても嬉しかったですね。
—今後、第二期も開催していくと思いますがやりたいことなどありますか。
これ、という明確なものはないですが第一期の実績があるので、やりたいことのある人が加わったり、私たちが何かやる時のハードルはだいぶ低くなったのではないかと思います。
第一期はまずは始めてやりきる、ということに重きを置いていました。第二期では、輪を広げることができたらと思います。
—しろいし緑の芸術祭に訪れる方に一言お願いします。
白石町の人はもちろん、町外や県外からもぜひいろんな方に来ていただきたいです。佐賀を楽しむ選択肢の一つとして、芸術祭にふらっと来ていただいて、作品を見て何かを考えるきっかけになったら嬉しいです。町の食や人との交流も楽しんでいただけたらと思います。
聞き手:穴瀬聖・立野由利子 文・立野由利子 撮影:勝村祐紀・作本奈寧子
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